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自己肯定感〜2つの眼鏡〜

「自己肯定感」とはなんだろう。
そう考えることがあります。

この宇宙にはネガティブとポジティブが存在しています。

宇宙が闇だけだった場合、私たちは存在できませんし、光だけだった場合も同様です。

その上で、自己肯定感とはなんなのか。

私は『第3の視点に戻る』ことだと感じています。

『第3の視点』とはなんなのか。
あくまでも私の考えですが…

まず、ネガティブとポジティブという2つの眼鏡が存在していると考えてください。
そして、その2つの眼鏡を所有しているのが私たちです。

この時点でネガティブとポジティブ両方の眼鏡を認識できるということは、本来の私たちはその外側の(第3の視点を持っている)存在だということです。

ですが、私たちは物心つく頃には既にどちらかの眼鏡をかけていることが多いです。

両親や周りの人たちの影響を受けてどちらかの眼鏡をかける(かけさせられる)ことが多いのだと思います。

幼児の頃はどちらの眼鏡もかけていませんよね。

「ネガティブ眼鏡」をかけるとネガティブな世界が見えます。
ネガティブな感情を感じることができ、ネガティブな体験をすることができます。

そしてネガティブ眼鏡をかけているときは、「ポジティブ眼鏡」をかけることはできません。逆もまた然り。

ネガティブ眼鏡をかけていると、例えポジティブ眼鏡をかけている人が隣で何かを必死に訴えても、それはネガティブな景色として映ります。

ですが、私たち自身は「眼鏡」そのものではありません。

誰かにかけさせられたにせよ、自分でかけてみたにせよ、私たち自身は眼鏡そのものではないですし、そもそも眼鏡そのものになることはできません。

最初からネガティブ眼鏡をかけている人にとっては、どんな事柄もネガティブに映ります。
逆にポジティブ眼鏡をかけている人には、どんな事柄もポジティブに映ります。

さて、自己肯定感が『高い』と言われる人はどんな人たちか。
感覚的にはポジティブ眼鏡をかけている人だと思ってしまいますが、私は少し違うと思います。

自己肯定感が高い人というのは『眼鏡を外す』という選択肢もあることを思い出した人ではないでしょうか。

ネガティブ眼鏡をかけている人は、たとえ「眼鏡を外している人」を見かけたとしても、その人に対してネガティブな印象を抱きます。

「眼鏡を外すなんて信じられない」
「私には真似できない」

そして、それらの感情は『不信感→心配→恐怖』へと変わります。

ですが、もともとポジティブ眼鏡をかけている人には世界がポジティブに映るため『不信感』『心配』『恐怖』という事柄は見えなくなります。

「眼鏡を外すこともできるんだ」
「私もやってみようかな」

というような感情になり、それはある意味では「向こう見ず」な行動だとしても、それができてしまいます。

眼鏡を外すと「なるほど!自分は眼鏡をかけていたのか」と、本来の自分(第3の視点)を思い出すことができます。

自己肯定感が高い人にポジティブな人が多い印象を抱くのにはこういった理由があるのだと私は思います。

では、ネガティブ眼鏡をかけている人は「第3の視点」に気づけないのか?

そうではありません。

なぜなら、ネガティブ眼鏡をかけているときにも「自分はネガティブだから…」という自己が存在しているはずだからです。

先にも述べたように、私たちは眼鏡そのものではありません。

「自分はネガティブだ」と自己を認識しているということは、裏を返せば「もう一人の自分もいる」と心のどこかでは感じているのではないでしょうか。

ですが、ネガティブ眼鏡をかけているとその『もう一人の自分』を探すことが難しくなります。

なぜならネガティブ眼鏡をかけている人にとって、それを探すということは『希望』ではなく『恐怖』として映るからです。

そもそも、「探す」という発想すら起きにくくなるのかもしれません。

それでも、その『どこか』を感じているとするならば、そこが『第3の視点』だと思うのです。

眼鏡を外すのは怖いかもしれません。
でも、大丈夫です。
眼鏡を外しても『自己』の在り処が消えてなくなることはありません。
そう感じてしまうとしても、大丈夫です。

なぜなら私たちは眼鏡そのものではないから。

あくまでも眼鏡をかけている所有者だからです。

所有者は眼鏡を外しても消滅しません。
消滅するのは眼鏡を通して見ていた世界(価値観)だけです。

一度外すことができれば、別の価値観の眼鏡をかける選択もできるようになります。

もともとポジティブ眼鏡をかけてた人は、眼鏡を外すことに抵抗がありません。
価値観が消滅することが『恐怖』ではないからです。

なので、ネガティブ眼鏡の人よりも第3の視点に気づくスピードは速いのです。

第3の視点に気づくと、ネガティブ眼鏡もポジティブ眼鏡も好きな時にかける自由があることを思い出すのです。

もちろんどちらの眼鏡をかけてみてもいいのです。
どちらの価値観も大切だからです。

でも、忘れてはいけないのです。

その眼鏡は自分がかけていることを。
そして、それを外すことも自分でできるということを。

ただそれだけを思い出すことができれば、本来の自分の姿をいつでも再確認することができ、ネガティブとポジティブ2つの世界が存在することを再認識することができます。

そこが第3の視点であり、2つの眼鏡を持っているという事実を受容することで「自己肯定感」が芽生えるのではないでしょうか。

「私はここにいる」と。

ネガティブ眼鏡をかけていると、選択肢が狭く感じて全てが否定的になるときがありますよね。

でも、「否定」が生まれるのは「肯定」という概念も持ち合わせているということではないでしょうか。

すぐには怖くてできないとしても、
「今はネガティブを知りたいだけなんだ」と少しでも認めてあげることができたら、第3の視点に戻ることは可能だと思うのです。

ネガティブ眼鏡のときは第3の視点に戻るスピードが遅くなります。
でもその分、得られる価値観も多いはずです。

ネガティブもポジティブも、そこには優劣はなく価値観が違うだけです。
好きな世界を見ていいのだと思います。

どちら側にいても、ふとした違和感が生まれることがあります。

もしかしたらそれは「一旦、眼鏡を外しなさい」という本来の自分からのメッセージなのかもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

礒飛健太

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